平成26年03月26日 日比谷公園に行きました。
日比谷公会堂
設計 佐藤功一
竣工 1929年
安田財閥から巨額の寄附を得て「東京市政調査会」およびそれに併設する公会堂として計画されている。
関東大震災の教訓から、地盤は2000本を越す松材で固められていることが知られています。
戦前から政治演説会や国民大会が数多く行なわた場所でもある。
政治家暗殺事件は、この日比谷公会堂における立会演説会での出来事です。
日本プレスセンタービル
設計 日建設計
竣工 1976年
竣工 1976年
訪日した海外賓客及び、国内の重要人物の記者会見を行う国内初の専門施設。
ビルは再開発地区「日比谷シティ」を形成する建築物のひとつ。
CO2排出量削減の一環として、建物内省エネルギー関連を多数採用している。
BCS賞も受賞している。
日比谷図書館
設計 三橋四郎
竣工 1908年(再建1957年)
東京市立日比谷図書館として建設されている。
竣工当時はアールヌーボー様式で、鹿島組が施工している。
この当時の図書館は木造部分があり、関東大震災でも一部が破損した。
日中戦争の開始により、50トン以上の鉄筋を用いる施設の建設は原則禁止されたこともあり、図書館再建のための起債も物資利用も政府によって禁じられたため、危険な施設を放置できないとする理由で1938年に閉館している。
1945年、空襲で全焼した。
館長の判断で空襲前に一部蔵書は疎開されたものの、大量の蔵書が消失している。
館長の判断で空襲前に一部蔵書は疎開されたものの、大量の蔵書が消失している。
現在の施設は1957年に再建され、日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれています。
日比谷公園の庭園
設計 本郷高徳
竣工 1903年
大日本帝国陸軍近衛師団練兵場として竣工している。
周囲に官庁街が整備され手狭になり、神宮外苑に近衛師団練兵場が移転している。
ドイツ式庭園を目指した一方で、江戸城に連なっていた堀を埋め立てる際に一部を心字池として埋め残し、日本的な要素も残した。
心字池ではかつての石垣の一部を今でも見ることができます。
引き続き、霞が関に向かいました。つづく