平成30年02月18日 帝国図書館で勉強しました。 ![イメージ 1]()
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太平洋戦争中に貴重書の疎開などを行いながら、終戦まで帝国図書館の閉鎖や臨時閉館等を行わずに予定通りの開館を続けていた。
第二次世界大戦以前は、唯一の国立図書館である。
上野公園の一番奥にあります。
現在は国立図書館の分館で国際子供図書館と成っています。
帝国図書館は、明治5年に文部省によって設置された書籍館を前身としています。
文部省は博物館を近代的な国家に欠かせない文化施設と考え、設立後すぐに博物館を設置するが、同じく重要な施設として書籍館(図書館の当初の呼称)併設の必要が建白され、博物館と同じ博物局の管轄として書籍館を湯島聖堂内に設置された博物館に併設した。
書籍館は東京で最初の近代的な公共図書館であるが、当時の閲覧は有料制であった。
ウィーン万国博覧会参加のためにつくられた太政官事務局に文部省博物局が併合されると書籍館も文部省の管轄を離れ、のちに浅草に移って東京書籍館と改称されました。
東京書籍館は蔵書は文部省から交付された約1万冊を基礎とし、日本で初めての納本図書館として全ての国内出版物を蔵書に受け入れた。
閲覧は再発足時から無料となるが、西南戦争の影響による財政難から明治10年に廃止が決定され、東京府に移管されて東京府書籍館となった。
関東大震災では蔵書と庁舎に損傷を受けたが軽微で済み、太平洋戦争中は台地上の住宅街から離れた場所にあったことから空襲の被害を免れて、大正から昭和初期の動乱を生き延びる。