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Channel: アドレスV100の整備記録
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DNタワー 明治生命館

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平成26年03月28日 皇居の内堀通りを晴海通りから反時計回りに歩きました。
イメージ 1 イメージ 2
イメージ 3 DNタワー(旧第一生命館)
設計 ケビン・ローチ
竣工 1938年(1995年増改築)
このDNタワーは、再開発され、手前に見えるのが旧第一生命館で、裏側にあるのが農林中央金庫であり、後ろにある高層ビルがケビン・ローチによる増設部分です。
第一生命館のDと農林中央金庫のNをとってDNタワーという名前になったそうです。
これは旧第一生命館の部分をかなり多めに保存していますが、例えば横浜関内の馬車道にある日本海上火災のビルはファサード部分しか保存されていないのです。
こういった保存の場合、残す代わりに容積率をボーナスでもらい、後ろの増築部分を上に伸ばすことができる等の役所とのやりとりで、役所側ではこの丸の内に建つ歴史的な建造物の保存に力を入れていると言うことが分かるかと思います。
さて、旧第一生命館部分は渡辺仁と松本興作の設計ですが、非常にフラットというか、装飾を排除したデザインとなっています。
他にも横浜の山下公園迎えにある、ホテルニューグランドなどデザイン力を持った建築家だったのです。
この柱部分も全く装飾が無くある意味今でも新鮮に見えます。

DNタワーに並び、次に帝国劇場(谷口吉郎)、少し先に明治生命館(岡田信一郎)など、大建築が沢山並んでいる場所です。
イメージ 4  明治生命館 
設計 岡田信一郎
竣工 昭和9年
建築を学んでる学生の方!この建築をご存じでしょうか?
知らない方は非常に残念です。
明治生命館は近代建築の中で外しては通れない重要な建築物です。
明治維新から日本の近代建築史が始まり、それまでの日本の建築というと社寺仏閣に代表される建築物でした。
日本は世界に肩を並べるために、日本に様式建築(ヨーロッパの歴史主義)のスタイルを輸入することになるわけです。
初めは日本に外国人建築家(お雇い外国人)を呼び寄せ、彼らに様式建築を設計させ、日本人に建築の教育もさせたわけです。
日本人建築家はお雇い外国人により様式建築を学び明治12年に初の日本人建築家が誕生します。
辰野金吾などは様式建築をある程度まで習得し、日本銀行、東京駅等を、妻木頼黄は横浜正金銀行等を、そして彼ら第一世代の集大成である片山東熊の東宮御所により一応一人歩きができるようになったのですが、それでも日本の建築設計技術は完璧ではありません。
その次の世代である、渡辺仁、渡辺節、長野宇平治、岡田信一郎などが様式建築を継承し、様式建築を完璧にマスターするのですが、その頂点にあるのがこの明治生命館です。
逆に言いますと、様式建築はそれ以降あまり建てられることはなく、モダニズムなどのスタイルに変わっていきます。
昭和初期にこの明治生命館は完成しますが、岡田は既に亡くなってしまい、遺作となっています。
この明治生命館は重要文化財に指定され、大切に利用されている。
写真に見られるオーダーはコリント式といって、アカンサスの葉を形作っていまして、フルーティングという縦のへこみがこの柱を軽く見せており非常に美しい。
ドリス式、イオニア式、コリント式、トスカナ式、コンポジット式とあるオーダーの中で私が最も好きなオーダーですが非常にいいです。

イメージ 5


引き続き、皇居の内堀通りを竹橋に進みます。つづく 

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