前任者が残した負の遺産を解決することに翻弄される日々がつづく。
平成26年10月25日(土曜日) 町田市柿生に行きました。
請負った工事でトラブルを、7年間を解決しないでいることが判明しました。
転勤で、課題を残していくことはあるが、今回の転勤では小生は引きが悪かったようである。
他に何件、残っているか不安を感じる。
漏水被害者と話し合いをしてまいりましたが、交渉は難航している。
問題の根本には、前任者の対応が問題化しており、その不満は驚愕せざる終えない感想を持った。
本日は、疲労した精神を休めないと、会社に勤務することが嫌に成っていた。
土曜日の午後、旧白洲邸 武相荘に行きました。
町田市にある白洲次郎の旧邸宅です。
旧白洲邸は町田市内の観光スポットで、絶対に外せない場所です。
昭和17年 白洲夫妻は、第二次世界大戦の日本軍優勢な時期に、戦況悪化による空襲や食糧難を予測して農地の付いた郊外の家を探していた。
当時の次郎は日本水産(現在のニチレイ)役員であったが、職を全て抛ち、退職金を注ぎ込んで購入している。
敗戦後、次郎は吉田茂の要請で終戦連絡中央事務局の参与に就任してGHQとの交渉や日本国憲法制定に尽力し、政界引退後は東北電力会長などを歴任している。
一時は忘れられた存在であったが、1990年代前半頃から少しずつ再評価され各種メディアで取り上げられることが増え、21世紀に入ってからは「日本のプリンシパル」(有数の要人)と持ち上げる書籍が多く刊行されている。
敗戦後の復興を導いた日本のリーダーは、今の小生に語り掛けていると感じました。勇気さえあれば、前任者の負の遺産は必ず解決できる。