平成26年09月04日 建設仕上げリフォーム技術研修の帰り、三田より品川を歩きました。
日中は学生諸君が読書をしている風景が有りました。
父が芝浦工業大学工学部を卒業しており、小生が芝浦工業大学に進学することを望んでいました。
実家は大田区蒲田にあり、 太平洋戦争前の父の通った芝浦工業大学は大田区荏原にあり、自転車で通学していたようです。
親孝行するには難関の芝浦工業大学を受験することであった。
しかし、芝浦工業大学の敷居は高く、親の期待に答えることなく、推薦入学で日本大学に進学することを選んだ。
親戚一同がら国立大学に合格することが常識のように言われ育った環境では、劣等感が有った。
社会人になって、一級建築士に合格したときに父が一番に喜んでくれました。
従兄弟の皆が国立大学法学部を卒業しても司法試験に合格している者はいなかった。
親が安心する国家公務員になり社会の歯車として人生を終わらせることは嫌だった。
小生が親戚で唯一、学生時代からの夢を、叶える事が出来た。
この喜びを後輩に語る。
生きた証を残すには、第一歩として一級建築士に合格する。
さすれば、どこの建設会社でも転職でき、地図に残るプロジェクトに参画できる道が開ける。
一級建築士を持った技術者は何度でも転職できる。
自分の人生に会った職場を見つけることは上司として引き止めることはできない。
どの会社でも、幹部に成る条件である。
上司が一級建築士でないチームでは、お客様に上司を紹介する際、困るであろ。
企業のブランドイメージを確立するには社会的に認知された資格が必要である。
一流の企業だから、欲しがる資格です。
町田支店への転勤で、東京都心への通勤が終了する。
毎日が夢のような日々であった。メトロポリスの夜景を脳裏に焼きつけ、都心を後にしました。