平成26年08月03日 江ノ島のパワースポットに行きました。
江ノ島神社は日本三大弁天の一つです。
源頼朝の命により弁財天を勧請し、歴代の鎌倉幕府将軍や、代々の領主から崇敬を受けた。
源頼朝の命により弁財天を勧請し、歴代の鎌倉幕府将軍や、代々の領主から崇敬を受けた。
江戸時代には、多くの庶民が参詣するようになっている。
観光客は金運の神様に参拝をします。
小生は組織人の神様を参拝しました。
児玉神社
日露戦争で活躍した帝国陸軍 満州軍総参謀長 児玉源太郎 大将を祀った神社です。
日本には、かつて軍神と呼ばれ、神として祀られた人たちがいます。
(他に、東郷平八郎 元帥海軍大将:原宿・乃木希典 陸軍大将 :乃木坂)
児玉大将は、歴史教科書にはない。
よほど歴史に興味がある人でなければ、彼の名前は知らないだろう。
しかし、戦前は日露戦争を勝利に導いた参謀で、作戦指導によりロシアのアジア支配を回避することを成し遂げている。
よほど歴史に興味がある人でなければ、彼の名前は知らないだろう。
しかし、戦前は日露戦争を勝利に導いた参謀で、作戦指導によりロシアのアジア支配を回避することを成し遂げている。
性格的には総参謀長として天才肌の人間によく見られるような相手を見下したり、 陸軍将校として我を張り通すといった面もなく、内省的に己を見つめ、諧謔の精神を持ち、地位や権力に固執することはなかったので、人々から慕われたと言われている。
児玉大将は長州藩の中級武士として生まれ、箱館戦争より陸軍に入隊する。
西南戦争の熊本城籠城戦に参加し、薩摩軍の攻撃から熊本城を護りきる。
日露戦争では、参謀総長 元帥陸軍大将 大山巌(薩摩藩出身)から参謀本部次長に指名され就任している。
功績として有名なのは、203高地の要塞を陥落させたことだろう。
同郷の乃木大将がが旅順要塞攻略で結果が出ず、周りから非難を浴びていたとき、児玉が現地に行って手伝い、わずか半日で陥落させたというエピソードでがある。
旅順攻略の後、満州軍総参謀長として満州に渡って奉天会戦などで総司令の大山巌元帥を補佐している。
奉天会戦では日本軍25万・ロシア軍32万の激突は人類史上最も大規模な戦いで、児玉率いる日本軍はここでも圧倒的な勝利を収める。
早稲田大学の創立者 大隈重信は児玉のことを、「人間が大きく、物事にこだわらず、言動もさっぱりしている。
そして複雑で困難な陸軍の行政事務を一手に引受けて、またたく間に解決する眼識と技量と明晰なる頭脳は、実に驚くべきものを持っていた。」と称している。
小生は業務の立案するときに参考としています。
児玉大将は、日露戦争を勝利に導き、日本を救った天才である。
それと同時に、地位や名誉を求めず、自分の使命を果たすために、ひたむきに生きた人である。
それと同時に、地位や名誉を求めず、自分の使命を果たすために、ひたむきに生きた人である。