平成26年07月16日 日没の前に広島市内を走った。
1945年8月6日、アメリカ軍が投下した原子爆弾は、広島市を一瞬にして灰燼に帰した。
第二次世界大戦後の世界に向けて人類の平和を願い訴える目的と、過去の過ちを繰り返さないために、爆心地に近いことより現在の公園の目的に用途変更している。
平和記念公園は被爆前も公園だったと誤った認識があるが、被爆前は中島地区と呼ばれ幕末から明治・大正にかけて市内有数の繁華街として栄えた歴史のある街であった。
設計はコンペにより選ばれた丹下健三が設計しています。
丹下の計画案の中には、現在の広島市中央公園や基町中層アパート群・市営基町高層アパートのあたりも、平和公園として構想されていた。
そして、平和大通りについても構想に含まれていた。
毎年8月6日には平和記念式典が開催され原爆が投下された午前8時15分には黙祷が捧げられる。
引き続き国道2号線を目指しました。つづく