平成29年12月6日 伊勢佐木町商店街を歩いた。
明治時代から商店などが集中したため、現在でも明治創業の店舗が残っている。
大相撲も催される興行街でした。
日本最初の洋画封切館であるオデヲン座を開館、大正初期までには東京・浅草や大阪・千日前と並ぶ大繁華街となり、「ザキブラ」「イセブラ」なる言葉もあった。
太平洋戦争で被災、更に戦後は占領軍によって接収される。横浜の復興が本格化したのは昭和30年代からで、他の地域より遅くなっていた。
砂利置き場であった横浜駅西口が本格的な大規模開発がはじまり、横浜駅エリアが横浜最大の繁華街としての地位を確立した。
それにともない、伊勢佐木町の繁華街としての機能は徐々に低下し、現在では横浜駅エリアに大きく水をあけられている。
昭和53年からは恒久的なかたちでの歩行者天国が実施されている。
また、ミュージシャンのゆずがアマチュア時代にストリートライブをよく行っていた場所として知られています。