平成26年07月05日 富岡製糸場工女の墓(龍光寺)へ行きました。
官営工場時代に、全国から集まった工女たちの中には、故郷を離れての慣れない集団 労働のため、若くして病に倒れ、この地で亡くなった人もいました。
龍光寺には、1874年から民営化後の1901年までの工女の墓があります。
明治維新後、日本の急速な近代化政策の最初の官営模範工場です。
「富岡製糸場」が世界遺産に晴れて選ばれた理由としては、まず、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、「アジアで最初の産業革命」であった。
「富岡製糸場」が世界遺産に晴れて選ばれた理由としては、まず、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、「アジアで最初の産業革命」であった。
日本と西欧との素晴らしい技術の交流、そして革新が生まれた。
士族の娘たちはじめ「お国のため」と決意した10代の少女たちが、夢と希望を抱いて全国から集まっていた。
「富岡製糸場」は決してブラック企業ではなく、実働時間は7時間45分、休日は年間で76日、食費、寮費は工場持ち、診療所完備という、当時としてはかなり待遇のいい労働条件でした。
後の世の「女工哀史」や「ああ野麦峠」に見られるような、悲惨、過酷な労働は民営化の後にあったようです。
現代の日本人が、近代的な生活が過ごせるのも、先人の犠牲の後にある。
引き続き、「富岡製糸場」を離れ、群馬名物の「こんにゃくパーク」へ向かいます。つつぐ