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新宿南口 上司の指導が部下を生かす。

平成26年07月01日 午前5時32分 新宿駅南口に近づいた。
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 小田急線の踏切を渡り、新宿副都心に入りました。
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 昔勤めた会社の前を通りました。
大学を卒業し、就職した会社の本社ビルの前を通りました。
日本を代表する東証1部上場の企業であった。
一級建築士の資格者数で日本一でした(企業の価値として当時は大事な要素で有った)。

銀座支店に配属され、上司の係長から一級建築士の資格を持っていない社員は「技術者に有らず」と上司に言われ、必死に勉強した。
上司に恵まれていた。40歳の中途入社の係長で、ゼネコン・建築士事務所・建築積算事務所を渡ってきた、建築業務の万能な経験を持っていた。

団塊の世代で部下への指導は厳しかった。
判らないことを直接上司に聞くことは出来なかった。
上司に認めてもらおうと、奮起し、スコアをあげることが出来た。
新卒一年目で、売り上げ一位を獲得し、二年目で本社建築部に転属した。
期待されていない新卒一年目に全国制覇という結果を出すことが、評価を上げる効果があった。

会社の頭脳として、活躍した。
上司を含め6人のチームでしたが、全員が転属を希望し居なくなっていった。
社会的に未熟な24歳の小生が、たった一人で技術部門を総括しなければならくなった。
栄光ある本社中枢への栄転が、転属してみると年功序列の日本企業の古い体質があった。
有能な上司を持たず成果を出していくことは、いかに難しいか。すぐに判った。
出る釘は打たれる。
しかし、 バブル全盛の時代でもあり、若き体力が志を完遂させてくれた。
初動の武器は日本大学出身であった。圧倒的な卒業生の数と派閥の結束。
対外的にも有効であった。どこへ行っても先輩は居た。

2年間で毎年昇進し、係長になった。
新卒3年以下で役職がついたものはいなかった。
年功序列による馴れ合いでは無い、頑張ったものが評価される会社になった。
25歳で転出しました。 小生一人に対し、50代の課長+30代の係長+年上の主任+事務員と交代した。
新勤務地も希望をかなえてくれた。

49歳になった今は若きころの戦闘能力が欲しい。
大病をわずらい、体力を制御しなければ一日がもたない。
引き続き、新宿超高層ビル群を走ります。つづく

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