平成30年02月月03日 休暇日に京橋図書館で勉強した後、銀座一丁目界隈を探検しました。
社会人に成ったばかりの20歳代を銀座で勤務していた。
当時は、バブル期全盛であったが小生の仕事環境は激務で豪遊する機会など無っかた。
しかし、銀座の事務所で建築設計の仕事をしていると、自慢ができ、女性からモテることも多かった記憶がある。
今、勤務してる会社には銀座支店は無いが、エリート集団の特別設計チームを配置すると活性化が図れるのでは。
当時は、有責社員1人に新人社員が数名が丁稚奉公し、設計の腕を磨き、一人前になると支店に配置される。
受注金額5億円以上の新築のビル・マンションの他、芸能人の自宅を設計したことがある。
若手は、外観・内部の透視図、その水回りだけの詳細図のトレース業務でけをやらせていたが、有責社員の設計図を見ることや製図する体験がてきる。
有楽町駅までもどると東京交通会館に立ち寄った。
1965年に開業した(小生と同い年)。
有楽町駅前に回転レストランのある名店ビルと銘打っていた。
ホテルニューオータニを初めとして日本各地のホテルなどで見られた回転レストラン(東京會舘銀座スカイラウンジ)を構え、その斬新さと地上55メートルからの眺望を売り物に銀座至近でもあることから当時は人気スポットとして賑わいをみせた。
3階には屋上庭園「有楽町コリーヌ」があり、東海道新幹線を間近に望める撮影名所として知られている。
献血をしました。
20代の頃は、土曜日が半日勤務であった。
午後に早く帰れる日は、献血をしていました。
献血ルームは、とても綺麗に成っていた。