平成26年03月22日 旧鳩山一郎邸に行きました。
政治家一族として知られる鳩山家の邸宅。
東京カテドラルからも比較的近い音羽の丘の上に建つ。
鳩山一郎は総理大臣職にあった1955年に自民党を結成し「55年体制」を確立、さらに日ソ国交回復を実行しているが、この時期鳩山邸には国内外の要人が出入りし、応接室は政治決断の重要な舞台となった。
鳩山一郎は総理大臣職にあった1955年に自民党を結成し「55年体制」を確立、さらに日ソ国交回復を実行しているが、この時期鳩山邸には国内外の要人が出入りし、応接室は政治決断の重要な舞台となった。
由紀夫・邦夫兄弟もこの鳩山邸で育っている。
その後1995年に修復工事を受け、現在は記念館として一般公開されています。設計は様式建築の名手、岡田信一郎。
鳩山一郎とは同窓生で親友の間柄だったようです。
岡田と言えば明治生命館や歌舞伎座などの”大物”の印象が強いけども、このような住宅のプランも器用にまとめている。
外観はイギリスの邸宅建築を思わせるアダムススタイル様式だが、関東大震災の直後であるためか構造はRC造です。
こういうお屋敷では必ずと言っていいくらい、施主に関連するデザインパターンがちりばめられている。
こういうお屋敷では必ずと言っていいくらい、施主に関連するデザインパターンがちりばめられている。
「どうせハトでしょ。」と思っていたらズバリその通りで、建物各所にハトがあしらわれていた。
引き続き、地下鉄大江戸線 飯田橋駅に向かいます。つづく