平成28年8月11日群馬県立近代美術館を見学した。
竣工 1974年
設計 磯崎新
当初、設計者はアントニン・レーモンドが、内定したが、地元有力者の紹介で、磯崎新を推薦でかちとっている。
陸軍火薬廠跡地である群馬の森の公園計画も同時に行われ、美術館設立委員たちは磯崎新を、土方定一は大高正人を、河北倫明は槇文彦をそれぞれ推薦し、磯崎新に加え、大高正人、槇文彦といった当時新進の建築家たちが設計にあたった。
磯崎による群馬県立近代美術館の設計案は、120cmを基準としたフレームの集合体が美術作品を取り巻く額縁のような空洞として想定されており、建築自体は、ルイス・カーンのインスティテューション論(形態と機能のシステム論)の影響が強く、プラトン立体(正多面体)の建築的引用ということもできる。
細部をみると、カーンの他、ロシア構成主義など様々な建築言語からの引用も見て取れる。
磯崎新は、1975年、当館の設計によって日本建築学会賞を受賞した。
竣工 1974年
設計 磯崎新
当初、設計者はアントニン・レーモンドが、内定したが、地元有力者の紹介で、磯崎新を推薦でかちとっている。
陸軍火薬廠跡地である群馬の森の公園計画も同時に行われ、美術館設立委員たちは磯崎新を、土方定一は大高正人を、河北倫明は槇文彦をそれぞれ推薦し、磯崎新に加え、大高正人、槇文彦といった当時新進の建築家たちが設計にあたった。
磯崎による群馬県立近代美術館の設計案は、120cmを基準としたフレームの集合体が美術作品を取り巻く額縁のような空洞として想定されており、建築自体は、ルイス・カーンのインスティテューション論(形態と機能のシステム論)の影響が強く、プラトン立体(正多面体)の建築的引用ということもできる。
細部をみると、カーンの他、ロシア構成主義など様々な建築言語からの引用も見て取れる。
磯崎新は、1975年、当館の設計によって日本建築学会賞を受賞した。